2019年7月7日日曜日

今は情報さえもらえれば誰でも専門家になれる時代

今はノウハウが蓄積されているので
情報さえもらえれば誰でも専門家になれる。
人とコネを作らないと専門的な情報を
もらえないということはない。
人を頼るという概念がなくなってきている。
今はコネも友人も知人も要らない世の中だ。
こういうことを本能的に感じているから
人間不信や脅迫中傷や引きこもりが起きるのだ。
集団から孤独の時代に変わって来ている。
だが現実は孤独向けに社会が作られていない。
そこが問題なのだ。
孤独になるために独房に入りたくてわざと悪いことをする。
そういう犯罪も出てくるだろう。
ひとりひとり人を閉じ込める密室は必要だ。
そういうのを公共事業や民間事業でやるべきだ。

管理教育はとにかくひどい教育だった

管理教育の問題は体罰ではない。
教えない教育が問題だ。
教えないから文盲が育つ。
わざとややこしい教え方をして生徒を混乱させる。
それで理解されずに文盲のまま卒業する。
肝心なことを教えない。
怒りながら教えるから余計に分かりにくくなる。
体罰や厳しい指導で個性狩りをする。
教師が体罰をやりたくない生徒(精神病者とか)には
他の生徒に体罰をやらせるように仕組む。
それが昔の暴力的いじめの正体だ。
教えない、もしくはわざと分かりにくく教えるから、
先生の言うことが理解されず、それでいきなり
実技をやらせて、理解できないから実技ができない。
そうなると実技ができない人を他の生徒がいじめる。
そういう図式も多かった。
とにかくひどい教育だった。

2019年7月4日木曜日

みんなでいじめられれば怖くない

「普通」の敷居もどんどん高くなってきてしまい、
能力的に普通になれない人も出てきそうだ。
普通になれない人はいじめられるが、
みんなでいじめられれば怖くない。
いじめられることは私の経験上、
いじめを見ている人ほど苦痛は感じない。
いじめを見ている人はいかにもむごいことを
されているんだと感じるけど、実際に
いじめられている人はそれほど苦痛は感じない。
また、いじめられていても楽しみはいっぱいあって、
いつもつらい思いをしているわけではない。
実際にいじめられている私の経験では、
いじめられているときもそんなにつらくは感じず、
むしろ自分の時間の楽しみや楽しい気分に
浸ることの方が圧倒的に大きい。
良く、「いじめられてつらかったね」と聞かれるが、
こっちにとっては「ハアー?つらい!?」である。
かえっていじめられている方が友達に合わせずに済むので
自由に自分のやりたいことができる。
そこは発想を変えて、みんなのやることに「NO!」と
言い、思い切っていじめられる側に行こう。
「みんながやっているから」ではなく、
「自分のやりたいことをやり、自分の言いたい意見を言う」。
発想を変えればいじめられることはそれほどむごいことではない。
さあ、みんなでいじめられよう!!
人間関係の維持なんてアホくさいでしょ!?
どうせ能力的に人間関係の維持なんてできなくなるんだから、
言いたいことを言い、やりたいことをやった方が幸せになれる。

みんな今の日本に満足しているようだ

みんな今の日本に満足しているようだ。
私は満足していないが、
他の人はみんな満足で、不満は無いみたい。
みんなのやりたがっていた社畜や奴隷にもなれているし、
教育もみんなが望んでいた
授業量増加や勉強漬けになってきている。
新しい未来を築くスマホ文化も
皆さんの希望通り排除できているし、
皆さんの嫌いな個性も潰してくれているし、
みんなが大満足する社会になった。
しょうもないことを大問題にする余裕があるほど、
皆さんが大満足する社会になっている。
私はちっとも満足していないが・・・。

2019年7月3日水曜日

ゆるい世の中もおもしろい

何もかもゆるくなって、ちょっとしたことでも
体罰だのパワハラだのと言われるようになった。
それは良いことだと思う。
古い人たちはこういう時代に変わったということで、
発想を変えるべきだ。
そのうちに料理の包丁や火も免許制になるかも。
確かに包丁は銃刀法違反だし。
ゆるい世の中もおもしろいと思うのだが。

いじめは善だと言う人がいる

いじめは善だと言う人がいるが、
私はいじめをされてモラルが麻痺して、
規則を破ったり先生に叩かれても
何も思わなくなった。
授業中寝ていて先生に叩かれても、まだ寝ていた。
自転車は構内下車ですよと注意されても
まだ構内で自転車に乗っていた。
それが悪いことだと感じなかった。
いじめはモラルを破壊するようなもので完全な悪である。
いじめで感覚が麻痺して台風や雷などの
自然災害に恐怖を感じなくなったり、
殴られたり蹴られたりしても恐怖を感じなくなった。
アザやケガを見たら安心するくらい感覚がゆがんでしまった。
それでもいじめは善だと言い張るのかね、戸塚君は。

2019年7月1日月曜日

教育に学校や指導者は必要無い

教育に学校や指導者は必要無い。
遊びでやらせればプロセスを自分で勉強していく。
教育で文科省が行うことは情報をもらう権利を与えること。
その情報を買う金を文科省が出せば良い。
学校を作るよりずっと安い。
学校や指導者があるとそれに助けてもらおうとする。
つまり、自然界の恐怖に逃げることができる。
例えばヨットをやる時はヨットのノウハウの情報を与えて
ヨットで遊ばせて置けば良い。
そうすれば自然界の恐怖から逃れ方を
自分からノウハウ情報から勉強する。
スクールがあればいくらスパルタ教育でも
戸塚ヨットスクールに助けてもらうからと
考えるようになって頑張らない。